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黒後家蜘蛛の会贋作集日誌(24) 終局的犯罪

GoShuです。

時間を見つけて企画HP用の文章をしこしこと書いています。

手間がかかると言えば言えないこともないですが、贋作執筆をやった後だと楽に感じますね。やっぱり創作というのはエネルギーを使います。

当該コンテンツについてはまた改めてご紹介する折があると思います。

さて、前回記事で星新一の名前が出てきたので連想したのですが、アイザック・アシモフの作品で星新一が翻訳した一冊があります。

アシモフの雑学コレクション

邦題のとおり雑学が主な本で(原題は"Isaac Asimov's Book of Facts")、まあよくもこんなにいろんなことを知っているもんだと今さらながらに守備範囲の広さに驚きます。

純粋な科学や歴史の話もありますが、「銀河系のなかで、太陽より大きい恒星は、五パーセントしかない。五パーセントといっても、五十億だが。」というように、雑学的な視点や書き方をしています。

これまでこのブログの中で、いろいろ原文の知ったかぶりをしてきましたが、基本、私は英語がそんなにわかりはしません。

しかし、それでもアシモフの文章はわかるんですね。本人がしばしば「私の文章は明瞭で飾り気がない」と言っているとおり、本当に読みやすいのです。普通、英文を読んでいると、形容詞がどこにかかっているか、関係詞がどことどこを繋いでいるか、などなどで迷うのですが、アシモフの文章はほとんど迷うことがありません。

そして星新一氏なのですが、もちろんその読みやすさは皆さまご存じの通りかと思います。無駄な描写を排除し、かつ普遍的な表現のみを使用するなどの文章上の工夫はいろいろなところで紹介されています。

だからこの本ももちろん読みやすいです。

読みやすいのですが……なんかヘンなのです。

たとえば上に引いた、「銀河系のなかで云々」の文章、アシモフの文章を訳したように見えないんですよ。

私が一番よく読んだアシモフの訳文は、もちろん池央耿氏によるもの……ではなく、実は山高昭氏による科学エッセイ群です。

ただ、池氏にせよ、山高氏にせよ、あるいはハヤカワ版SFの翻訳をなさっている小尾芙佐氏や岡部宏之氏その他の方にせよ、同じ作者の文章の訳だな、という感じがするのです。

印象はそれぞれ違いはするのですが。

しかし、この『アシモフの雑学コレクション』は、元がアシモフの文章とは思えないのですね。

上で言えば、「五パーセントといっても、五十億だが。」は、「ただ、五パーセントといっても、五十億個あることになる。」くらいが普通でしょう。

私は、一番最初に馴れ親しんだ小説が星新一の小説なのではっきりわかるのですが、「五パーセントといっても、五十億だが。」という文体は、完全に星氏の文体なのです。

こんなに簡単なんですが。

アシモフの文章は、「五十億だが」というような文の終わり方をしなければならないような文章ではないんですね。もっとずっと素直で簡単なのです。これの原文は知りませんが、たとえば"This five percents is, but then, five billion." みたいな原文でないことは首を賭けてもいいくらいです。"But this five percents means five billion."みたいにすっきりした語順だと思います。

「直訳でない」とは、訳者あとがきで星氏自身が書いておられるので、それはもちろんなんの問題もないことです。

しかし、なんと言いますかね……私にとってはなんとも座りの悪い本です。

これ書いてる人!あなたほんとにアシモフなの?!という気がしてしまうので……

作者も訳者も大好きな人なので残念なのですが。

※あ、本日のタイトルは「そろそろ24番目に行かなきゃ」と思って付けただけで、

 記事の内容とはまったく関係ありません。

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