アイザック・アシモフ

指輪物語とか

いま、通勤時に『指輪物語』を読んでおります。おはずかしいが初読。(映画は見ました)

この作品が『黒後家蜘蛛の会』にもゆかり深いことは、この場所においでの方はもちろん先刻ご承知でしょう。

当該黒後家作品以外にも、アシモフは何ヶ所かで『指輪物語』のことを書いています。

一例として、ライフワークとしていたF&SF誌の科学エッセイ。

Asimov_ring1_2

今は亡き社会思想社から出ていた現代教養文庫のひとつです。オールドファンにはなつかしいところ。

この中の『全と無』というエッセイの冒頭で、『指輪物語』のことを書いています。

いわく、

「何度も読み返して、そのたびごとに感心し、たったの50万語しかないことに腹立ちを覚えるほどだ」

「構成として、ささやかな発端からはじまり、二つの流れに分かれ、そして最後に融合したうえでささやかに終わるのがうれしい」

「二つの流れのうち、ひとつはどんどん大掛かりになり、世界を巻き込む大戦争になる。そしてもうひとつの流れは小さく小さくなり、二人のこびとが弱々しく火山を登っていくところで終わる」

「大から小へ、小から大へ、さらに、大から小へ。そして最後に小が意味を持つ。一見無に等しいものがすべてを救う」

「ものごとはすべてそうあるべきだと主張し、主張するだけでなくそれを語ってみせてくれる」

引用が長くなりましたが、上記のように激賞しています。

そして、上記をマクラにして、「大と小」を「全宇宙と素粒子」になぞらえ、宇宙の質量とニュートリノを主題としてエッセイを書いているという構成です。

ご存知のように、F&SF誌の科学エッセイのマクラは、黒後家のあとがきみたいなものですね。

この本はほとんどが宇宙物理学と素粒子をテーマにしたエッセイ9編を集めていますが、黒後家のそれと同様、マクラだけでも面白い。

さて。で、実はここから本題なのですが。

上記のようにこの本は宇宙物理学と素粒子に関わる科学エッセイなのですが。

カバー折り返しの作品紹介はこうだ。

Asimov_ring2

『指輪物語』をたしかにほめちゃいるけれども、あくまで9編のうち1編のマクラにすぎないのだぞー。あまりにも強調しすぎだろー。

てなわけで、変なところでさらにフィーチャーされていた『指輪物語』でありました。

しかし社会思想社さまは、今後はもうちょいアオリ文句を考えていただきたい……

……

……倒れてたか。うむ。

なお、前記事で引用した『黒後家蜘蛛の会6』についてのリンク先に、「『黒後家蜘蛛とバットマン』は、版権の都合で収録は難しい」ということが記載されておりました。

この『黒後家蜘蛛とバットマン』を収載していたのが、なにを隠そう、社会思想社・現代教養文庫「バットマンの冒険2」なのでございました。

さて。

それはそれとして。

かんじんかなめ、お待たせしております『黒後家蜘蛛の会贋作集2』ですが、紹介動画を作り始めております。

本編はまだできてませんが、作り始められるところからといったところです。

間延びはしておりますが、もう本編ではなく周辺のアレコレをするくらいに公開大詰め近いことは変わりありませんので、今しばらくお待ち下さい。

それでは。

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管理やシナリオや『幽霊の2/3』

GoShuです。

先の記事でご報告いたしましたとおり、1月はきわめて運営が忙しかったひと月でした。

なにしろ1月だけで、

受領したメールが70通。

送信したメールが90通。

という状況だったので、一段落してほっとしております。

しかし上記のような状態は、ある意味「運営者の非能率性ないし頭の悪さ」を自白しているに等しく、参加者各位には申し訳なくも恥ずかしいことであると言えます。

まあ、今回、少しだけ効率化を図ってはみたのですが。それもまあ雀の涙という感じですのでねえ。うみゅー。

ところで、かたや世の中にはすごい人がいるもので、以前お知り合いになったフリーゲーム制作者さんなのですが、

「バージョン管理はSVN。タスク管理はtrac。サーバは自前で立てる」

という方がおられまして。

普通の人は、聞いてもワケのわからないレベルに達しておられます。

※これらは、数億レベルのプロジェクトでも管理運営できるツールです

私も本職はIT屋なので、やろうと思えばできないことはないですけど、そこまでやろうという発想が持てません。

すげえええ、と思うばかりです。

なのでまあ、あなろぐー、な形でこれからもやろうとしている次第です。

でっ。

ようやっと、自作シナリオのリライトに掛かる時間が持てました。

このところ、力を入れてシナリオや小説を書く機会が複数あったのですが、そろいもそろって

「力を入れ過ぎて自爆した」

という末路をたどっております。

自爆までの心理的な経過をかえりみると面白いところや今さらながら勉強になるところがあり、「まあ失敗してナンボよね」とも思います。

が。困ったちゃんであることも確かなので、肩の力を抜いて書き直したいと思っています。

いそいそ。

制作については以上なのですが、最後にちょっとそれとは関係ない話を。

最近読んだ、ヘレン・マクロイ作、『幽霊の2/3』

http://www.amazon.co.jp/%E5%B9%BD%E9%9C%8A%E3%81%AE2-3-%E5%89%B5%E5%85%83%E6%8E%A8%E7%90%86%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%98%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4/dp/4488168051

というミステリが面白かったのでご紹介いたします。

もちろん作品それ自体面白いのですが、それに加え。

以前こちらで、アシモフの長編ミステリ『ABAの殺人』をご紹介したことがあります。

http://blackwidowers.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/aba-350c.html

なんとこの2作、「前半がそっくり」なのです。

焦点となる人物が「若手の売れっ子作家」で。

その周囲に出版業者やらエージェントやら批評家やら、売れっ子作家と深い利害関係を持つ人物がうようよ登場して。

売れる売れないに関わる悲哀や怨念が連綿と描写され。

タイトルや本のカバー紹介には殺人だと書いてあるのに、いつまでたっても殺人が起こらず。

「オイ!作家が自分の業界のことを書いてるんだからある程度しょうがないとはいえ、ちょっと似すぎダロ!」と声を上げたくなるレベルです。

で、殺されるのは誰だ?誰だ?と思っていると……

やはり売れっ子作家です!!同じだ!!ヤッター!!

というわけで、(もちろん違う部分もたくさんありますけど)これほど似通った印象を受ける作品に出会うのは珍しいので、ここでご紹介させていただいた次第です。

なお、似通っているのはここまでで、後半からは、まるで似ても似つかなくなります。

アシモフは、ある意味最初から最後までまっすぐの線を描くように物語を運びますが、マクロイのほうは第七章で急展開を迎える構成です。「えええええ!?」という感じですね。

そこらへんの作りの違いも見ていて面白いですし、タイトルの『幽霊の2/3』もいろいろな方が言及しているように、すごくよく出来たタイトルですし。

ご一読をお勧めしたいと思います。

『ABAの殺人』を読んだ方ならなおさら、かな。

ではでは。

制作に戻ります。

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『黒後家蜘蛛の会』喧嘩腰考

GoShuです。

作業の片手間に、相変わらず黒後家蜘蛛の会関連のネットサーチをしています。

原作について以前からよくあり、最近も1つ見つけた原作に対する批判的意見として、「なんでこの人たちはあんなにケンカ腰でしゃべってるの」というのがあります。

「言いたい放題がなかったら、『黒後家蜘蛛の会』じゃなくなっちゃうじゃない!」というのはあるんですけど、ああいう言い合いに違和感を覚える方もおられるだろうな、と思います。

そのようなご意見を見るたびに思いだすのが、アシモフが晩年に書いた自叙伝、"I, Asimov" の一節です。

"I, Asimov"は日本未発売なのですが、

P.E.S.

というブログさんが紹介しておられます。

その中に、有名SFファンクラブである「フューチャリアン」に若かりしアシモフが入会したときのエピソードがあります。

http://d.hatena.ne.jp/okemos/20090512/1242097589

アシモフは、他のメンバーとの出会いを、

「しかしその他の点で私は彼ら全員に魅了され、そして精神的な故郷を見つけたように感じた。」

「私とおなじ問題含みの聡明さを有する人達と。」

と表現しています。

そして、私は「あー、それ、わかるなー!」と思ったのです。

「問題含みの聡明さ」というのはとてもよくわかる表現です。

言わなくていいことを言って人の怒りを買ったり。

自己顕示のためになんだかんだと要らぬことをしゃべったり。

そういう経験が多かったりする人には、『黒後家蜘蛛の会』の言い合いも、なんだか嬉しくなるようなものの気がするのです。

私におきましても、また。

まあ、会員はさすがにいいトシをしてますから、日常生活ではあまりそういう面を見せないでしょう。

でも、似たような性格を持つ人々が集まる、気心の知れた会ではちょっと(あるいは相当)そういう面を表に出しているんだろう。

あの言い合いも、そこらへんを了承している同士では、一つの「親愛の情の表出」として受け取り合っていると思います。

言うなれば「じゃれ合っている」とでもいいますか。

と、個人的な見解ですが、私はそういうように感じています。

それは、上記の"I, Asimov"を見る前からずっと感じていたことですね。

だから、お分かりにならない方にはわからないかも……と少々残念にも思うのですが、「似たような性格の主で集まった時のこころよさ」というものは、形は違えど誰もが感じるものではないかと思います。

あくまでも私の個人的な解釈ですが、会員のケンカ腰会話もその一環と考えれば、好きになっていただくのは難しいかもですが、理解はしていただけるんじゃないかなあ、などと思っています。

んで、上記のような考えを持つ人間が書く贋作は、悪口いい放題のものになるわけですね。

たぶん、今回もそうなると思います。

さて、最近は黒後家的なアーティクルが少なかったので、久しぶりに原作考をしてみました。

制作のほうですが、先記事にて煮詰まっていたシナリオの骨格がようやく固まりましたのでほっとしているところです。

まだ募集締め切りまでは期間があるものの、制作ToDoはそれなりにありますので、そちらにも注力していきたいと思います。

(やれやれ、やっとそちらが進められる……)

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『黒後家蜘蛛の会贋作集』 第二期開始告知。

みなさんお久しぶりです。

黒後家蜘蛛の会贋作集、主宰のGoShuです。

このたび、第二期の募集・制作を開始することになりました。

にぎにぎしきご応募をお待ち申し上げます。

黒後家蜘蛛の会贋作集 2 : 主宰敬白。

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黒後家蜘蛛の会贋作集日誌(46) 赤毛

GoShuです。

おお、小野堂さんから昨日の記事にコメントが来ている。ありがとうございます。

謎中心ですか。なるほど。その表現のほうがよろしかったですかねー。

「上手な文章」というのは正直よくわからないです。確かにときどき魔術のようにうまい文章を読むことはありますが。(昔、島田雅彦氏の文章を読んだときにそう思ったことがあります。遺憾ながら、作品名は忘れてしまったのですが)

とりあえず、読みやすく、かつ自分の思っていることが伝わればまずはそれでいいのかな、と思っています。それでも決して簡単なことではないですので。

それ以上は自分で望んだこともないので、よくわからない。

さて、今日は眠いので失礼ながら箇条書きで。

・実はシナリオは、レジュメをまとめているだけで、一行も書いてませんでした。本日、「よし!これだけまとめればOK!」と思ってやっと書き始めました。

しかし、なんということか、一行目をどう書くか考えておらず、そこで10分ほど固まったのは機密事項です。コードネーム:アイン。

・アメリカのサイトで、黒後家蜘蛛の会の二次創作を見つけました。「これは英語のメールを書いて、収載してもいいかお願いするところだね!」と思ったのですが、よくよく見ると、TVドラマとのクロスオーバー作品であったようでがっくり。

それではちょっと載せにくいかなあ、という感じです。ちょっとがっかりしたので途中で読むのを中断してますが、また改めて読んでみようと思っています。

・業務連絡その2。執筆中の私のシナリオに関係の深い某様(no name様ではありません。深緑様でもありません)。メール差し上げておりますので、もし未確認でございましたらチェックをお願いいたします。

というわけで、スコッチのソーダ割りを飲みつつお届けしました。

今日はジョニーウォーカー黒ラベル。

(実は、「スコッチ」「ソーダ割り」は、本ブログに来られる方の検索ワードとしてはベスト5に入る人気です。あ、それから、上記アメリカの二次創作でも、「死にかけた男にスコッチのソーダ割りを頼む」は登場してました。みんな好きなんですねー。)

それではおやすみなさいませ。

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ABAの殺人(完結編)

GoShuです。

この日誌では、『黒後家蜘蛛の会』関連の書籍をときどき紹介しておりますが、本日は以前からときどき言及していた、『ABAの殺人』をご紹介いたします。

アイザック・アシモフには、SFミステリでない、純粋ミステリの長編が2作ありますが、その一つがこの『ABAの殺人』です。

アメリカ図書販売協会(ABA)の総会を舞台に起こった新進流行作家の死、という題材です。

登場人物はほとんどがABAの関係者…つまり出版社や書店や作家であり、それ以外はABA総会の会場であるホテルの関係者です。

主人公は作家ダライアス・ジャスト。つまり『黒後家蜘蛛の会』第4集所載の『バーにいた女』のゲストです。このキャラクターが非常に気に入ったので、『黒後家蜘蛛の会』のゲストにしたと、『バーにいた女』のあとがきにもあります。

このダライアス・ジャストは作家ハーラン・エリスンをモデルにしており、この『ABAの殺人』はハーラン・エリスンに捧げられています。

ABAは実在の団体ですが、当然登場人物は全員架空の人物です。しかし、唯一実在の人物として、ほかならぬアイザック・アシモフが「自信満々を一輪車に積んで押している」作家として登場します。

この『ABAの殺人』は、ジャストが訳あってアシモフに代筆を頼んだ、という設定になっています。

そして、「アシモフを完全に信用しているわけではないので」ジャストが出版前に校閲して脚注を入れた、ということになっています。そしてその脚注に対してアシモフが再脚注を入れており、結果として脚注でジャストとアシモフの言い争いが挟み込まれる、というお遊びがあります。これが非常に面白い(ひょっとしたら本文よりも)。

印象としては『黒後家蜘蛛の会』あとがきと似ていて、「どこまでも顔を出したがるアシモフ」という効果を出しています。

被害者の新進気鋭の作家は、これまでつきあいのあった出版社と縁を切ろうとしているなど、いくつか諍いの種を抱えています。

そして大会日程中に、会場内のホテルの自室で死体となって発見される。一見、それは事故に見える。

しかし、被害者がデビュー前に作家技術を教えた師匠であり、死体の第一発見者でもあるジャストが「あること」に不審を抱いて調査を始める……というストーリーです。

『黒後家蜘蛛の会』にも見られるような、罪のない言いあいがそこここにあって、ある部分は『黒後家蜘蛛の会』と似た印象があります。

しかし違うのは、『黒後家蜘蛛の会』が利害関係のない友人との会話で進んでいくのに対して、『ABAの殺人』は利害関係のある友人との会話で進んでいく点です。

アシモフの通常の著作では、読者は「心優しき読者」、編集者は「心優しき編集者」と表現されます。まず間違いなく。

しかしこの作品では、作家が感じる「出版社からの扱いへの不満」や「収入に対する不安」や「出ない人気に対するやりきれなさ」や「他の作家に対する嫉妬」などが割と色濃く出ています。

たとえば、まだ事件が起こる前、被害者の作家の本が出版社のブースに積まれていて、自分の新刊が積まれていないことに気がついたジャストが出版社の社長と話している部分。「プリズム」は出版社名、「トム」は社長。

「わたしの勘では、プリズムの新刊リストにわたしの本が入っていること自体、トムは直ぐには思い出せなかったらしい。」

ジャストが昔抱いていた編集者に対する印象。

「もし彼らの崇高な感覚に反するものが原稿のどこかに潜んでいれば、無造作にペケ印が紙切れに書きなぐられて、係の女の子から不採用の付箋の付いた原稿が送り返されてくる。神様だって、これ以上のことはできない。」

それに続く、今の編集者に対する印象。

「しかし、エディターも首を切られる、ということも後になって分かってきた。首を切られれば、エディターもエディターではなくなる。単に失業統計の数字に過ぎない。

作家の場合は違う。首を切られることはない。原稿が没になることはあるだろう。芽が出ない、食うに困る、下等な(すなわち、物書きでない)仕事をして糊口をしのぐ羽目に陥る、評論家には無視され大衆からは非難される、こんなことはあるかもしれない――しかし、あくまでも作家は作家であり、いかに芽の出ない作家、成功しない作家、腹の減った作家でも作家には違いない。どんなエディターだって、この事実は変えられない。」

ユーモアは常に混じっているものの、ここらあたりに見られるある種の「生々しさ」が、アシモフの他の著作から見て異色な点として特筆に値すると思います。

謎の内容は非常にフェア。

注意深く読み、推理を働かせれば、「不自然な点」に気がつくことができ、動機などのディテールはわからないにしても、犯人が誰かということはわかるようになっています。

(あ、私はわかりませんでしたけど)

ジャストが死因に不審を抱く理由もユニークで面白いです。

また、被害者の作家のいくつかの奇癖が謎を解く伏線になっており、「これは誰かモデルがいるのか」という邪推をしそうになってしまいます。

全体的に、アシモフファンなら楽しめる作品になっています。

難を言えば、少し淡々と進み過ぎるかな、というところでしょうか。それと、事件が起きるのが全体の1/3を過ぎたところなので、それまでが若干じれったい感じがします。

以上、『ABAの殺人』のレビューでした。

今後、もうひとつの純粋ミステリ『象牙の塔の殺人』や、『黒後家蜘蛛の会』単行本未収録作についてもレビューしていきたいと思っています(が、時間的にどうなるかわからないところがあります。すみません)。

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黒後家蜘蛛の会贋作集日誌(24) 終局的犯罪

GoShuです。

時間を見つけて企画HP用の文章をしこしこと書いています。

手間がかかると言えば言えないこともないですが、贋作執筆をやった後だと楽に感じますね。やっぱり創作というのはエネルギーを使います。

当該コンテンツについてはまた改めてご紹介する折があると思います。

さて、前回記事で星新一の名前が出てきたので連想したのですが、アイザック・アシモフの作品で星新一が翻訳した一冊があります。

アシモフの雑学コレクション

邦題のとおり雑学が主な本で(原題は"Isaac Asimov's Book of Facts")、まあよくもこんなにいろんなことを知っているもんだと今さらながらに守備範囲の広さに驚きます。

純粋な科学や歴史の話もありますが、「銀河系のなかで、太陽より大きい恒星は、五パーセントしかない。五パーセントといっても、五十億だが。」というように、雑学的な視点や書き方をしています。

これまでこのブログの中で、いろいろ原文の知ったかぶりをしてきましたが、基本、私は英語がそんなにわかりはしません。

しかし、それでもアシモフの文章はわかるんですね。本人がしばしば「私の文章は明瞭で飾り気がない」と言っているとおり、本当に読みやすいのです。普通、英文を読んでいると、形容詞がどこにかかっているか、関係詞がどことどこを繋いでいるか、などなどで迷うのですが、アシモフの文章はほとんど迷うことがありません。

そして星新一氏なのですが、もちろんその読みやすさは皆さまご存じの通りかと思います。無駄な描写を排除し、かつ普遍的な表現のみを使用するなどの文章上の工夫はいろいろなところで紹介されています。

だからこの本ももちろん読みやすいです。

読みやすいのですが……なんかヘンなのです。

たとえば上に引いた、「銀河系のなかで云々」の文章、アシモフの文章を訳したように見えないんですよ。

私が一番よく読んだアシモフの訳文は、もちろん池央耿氏によるもの……ではなく、実は山高昭氏による科学エッセイ群です。

ただ、池氏にせよ、山高氏にせよ、あるいはハヤカワ版SFの翻訳をなさっている小尾芙佐氏や岡部宏之氏その他の方にせよ、同じ作者の文章の訳だな、という感じがするのです。

印象はそれぞれ違いはするのですが。

しかし、この『アシモフの雑学コレクション』は、元がアシモフの文章とは思えないのですね。

上で言えば、「五パーセントといっても、五十億だが。」は、「ただ、五パーセントといっても、五十億個あることになる。」くらいが普通でしょう。

私は、一番最初に馴れ親しんだ小説が星新一の小説なのではっきりわかるのですが、「五パーセントといっても、五十億だが。」という文体は、完全に星氏の文体なのです。

こんなに簡単なんですが。

アシモフの文章は、「五十億だが」というような文の終わり方をしなければならないような文章ではないんですね。もっとずっと素直で簡単なのです。これの原文は知りませんが、たとえば"This five percents is, but then, five billion." みたいな原文でないことは首を賭けてもいいくらいです。"But this five percents means five billion."みたいにすっきりした語順だと思います。

「直訳でない」とは、訳者あとがきで星氏自身が書いておられるので、それはもちろんなんの問題もないことです。

しかし、なんと言いますかね……私にとってはなんとも座りの悪い本です。

これ書いてる人!あなたほんとにアシモフなの?!という気がしてしまうので……

作者も訳者も大好きな人なので残念なのですが。

※あ、本日のタイトルは「そろそろ24番目に行かなきゃ」と思って付けただけで、

 記事の内容とはまったく関係ありません。

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ABAの殺人(承前)

GoShuです。

最近、通勤電車の中でアシモフの長編ミステリ『ABAの殺人』を読んでいます。……

もし超人的に記憶力の良い方がおられたら、「おまえずっと前にも同じことを言ってなかったか?」と言われるかもしれません。

まったくそのとおりです。

諸事情で、いったん中断して通勤中は別の本を読んでいたので、長引いております次第です。

で。

失礼ながら、突然ここで話題を一時転換いたします。

サントリーミステリー大賞で、第二回大賞を『運命交響曲殺人事件』で受賞した、由良三郎という作家がおられました。

この方のエッセイ作品に、『ミステリーを科学したら』という名作がございます。

著名なミステリについて、トリックが科学的に正しいかどうか、ということを論評するエッセイを主に集めた作品です。

この方は本名を吉野亀三郎といい、東京大学ウイルス研の教授でした。だから医学的見地から論評されているものが多いです。

だからといって堅苦しい作品ではなく、この方は江戸っ子でもあったようなので、ユーモアあふれた歯切れのいい口調でつづられています。

また、科学的にはNGであっても、ミステリならば許される場合があるだろう、正しいだけが能ではない、という立場を取られてもいます。

だから全体として、非常に楽しく読める本です。

未読の方はぜひご一読をお勧めいたします。

そして、この作品は、全部が科学的見地からのミステリ論評で占められているわけではなく、ミステリにからめた普通のエッセイもあります。

その中に、作者が留学していたときの経験談がありました。

ホームパーティに招かれて出席したときのことです。次から次へと人に紹介され、相手の名前が憶えられず四苦八苦していると、周りはみんな普通の顔で自分の名前を呼んでくることにガクゼンとする、という内容です。

しかし、別に皆頭がものすごくよいわけではないことがだんだんわかってきます。その場で憶えることができるだけ。つまりそれは習慣で身についた技術なのだろう、という結論になります。(今手元にこの本がないので、ニュアンスに異なる点があったらお詫びします)

そこで作者がハタと気がついたこと。

海外ミステリで、ほとんど名前だけの紹介レベルで登場人物が次々出てきて、憶えきれないことがよくあった。それはこのような習慣に基づいて構成されていたためであろう、というものです。そこでミステリとつながるんですね。

私もナルホド、と思いました。

で。話は『ABAの殺人』に唐突に戻ります。はい。戻ります。

この作品、次から次へとやっぱり人が出てきます。出版社/書店の集会が舞台で、主人公が出会った知人と次々に話す、という構成になっています。

なにしろ章タイトルが全部人名になっているほど。

名前だけ、というわけでは全然なく、それぞれに特徴的な人物が描写されるのではありますが(そしてその描写が大変面白いのですが)、真ん中くらいまではあまり事件らしい事件もなく、集会の描写が続きます。

そういう作品で。

1月近く読むのを中断していて。

そして私は日本人で。(そうそう!)

そうすると、こうなってしまいます……

ヘンリエッタ・コーヴァスって、誰だよ!

もうちょい読むのには時間がかかりそうです。

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Opus 100

GoShuです。

表題は、ご承知のとおり、アシモフ100冊目の本の題名です。

内容は↓

http://en.wikipedia.org/wiki/Opus_100

発行は1969年。まだ黒後家蜘蛛の会が書き始められる前です。この本、邦訳はありません。

「Part 1. Astronomy」「Part 3. Mathematics」みたいに、科学分野の章立てになっていますが、中身はフィクション・ノンフィクションがまぜこぜになっています。ちょっと特徴的ですね。

「Part 8. History」の『The Dead Hand』は、『ファウンデーション対帝国』のことなのでしょう。

……って、なんでいきなりOpus 100やねん。

ということなのですが、今日のこの記事が本ブログ100番目の記事だという、愚かしい理由だけだったりします。

うむー。

記事の中身は別として、時間は経ってしまったんだなあ、という気がします。

アシモフ200冊目の本の題名はもちろん『Opus 200』。こちらは『アシモフ博士の世界』として邦訳があります。

このブログがOpus 200の題名になるときは……おそらく募集が終わっています。

あと3カ月。

それまでにできることはがんばっていきたいと思います。

当初、『Opus 100』の出版年を1968年としていましたが、1969年の誤りでした。

お詫びして訂正いたします。

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『黒後家蜘蛛の会』モデルの6人

GoShuです。

本企画に関していろいろネットを渡り歩くことが多いです。

目的は3つ4つあるのですが、黒後家知識を増やすというのもその一つです。

本日は、特に制作と関わりがあるというわけではないのですが、小ネタというところで、『黒後家蜘蛛の会』会員モデル6人の画像を集めてみました。

※※※※※※※※※

これは、グラフィック・イラスト応募者の皆さまを、いかなる意味でも拘束するものではありません。応募者の皆さまは、自由な感覚、ご自身の印象で作品を描いていただくことを願っております。

※※※※※※※※※

それでは行きましょうか。

ジェフリー・アヴァロン: L・スプレイグ・ド・キャンプ(Lyon Sprague de Camp)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%95

中ほどに、アシモフ、ハインラインとともに若かりし頃の写真があります。

トーマス・トランブル: ギルバート・キャント(Gilbert Cant)

[見つけ出せませんでした]

イマニュエル・ルービン: レスター・デル・レイ(Lester Del Ray)

http://en.wikipedia.org/wiki/Lester_del_Rey

1974年の写真ですから、黒後家蜘蛛の会シリーズが始まって間もないころですね。

ジェイムズ・ドレイク: ジョン・D・クラーク(John Drury Clark)

[見つけ出せませんでした]

マリオ・ゴンザロ: リン・カーター(Lin Carter [Linwood Vrooman Carter])

http://www.thecimmerian.com/?m=200807

この方はスプレイグ・ド・キャンプ氏と並んで画像が豊富です。ゴンザロの雰囲気があるこのページを選びました。かなり下のほうにある、「Postcard From The Edge」のセクションにある赤い服の人物です。

「われわれラテン系は二枚目揃いだからな」

ロジャー・ホルステッド: ドン・ベンスン(Don Bensen [Donald Roynald Bensen])

[見つけ出せませんでした]

……というわけで、打率は5割にとどまりました。

実は以前、ジョン・D・クラーク氏の画像を見つけたと思ったのですが、今日再確認してそれは別人であることに気が付きました。

うーん、あまりないものですねえ。肖像権の問題もあるんでしょうけれど。

なお、以前本日誌にて認識違いをしていたのですが、ギルバート・キャント氏(ジャーナリスト)以外は、専業ではないにせよ、全員SFを書いておられます。

謹んで訂正させていただきます。

また、『Return of the Black Widowers』が出版された2003年には、6人の方はすべて逝去なさっておられます。

だからハーラン・エリスン氏が冒頭言を書いているということもあるのでしょう。

また機会があったら探そうかなとも思っていますが、どうもギルバート・キャント氏が一番難しそうです。

わりとモデルの風貌を見てみたいほうに属する方なのですが。

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